主観客観

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文化の日に想う

2011年11月4日

 11月3日、文化の日には全国各地でさまざまな催し物が行われた。
 皇室でも秋篠宮家の長男悠仁様が「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」を執り行うなど、日本には歴史と伝統ある儀式が数多い。これから年末年始にかけてもそういった機会にふれる方が多いと思う。

 ただ、私たちはそれらの儀式を普段、意識することが少ないように思う。儀式が習慣化してしまい、それらが持つ本来の意味を考えることなく、日々、通過してしまっているためだろう。

 しかし、日本文化を学んでいる外国人のなかには、日本独特の儀式をすべて意味あるものとして敬意を持って接している人が多い。こういった人々をさして、「日本人以上に日本人らしい外国人」と評することがよくあるが、まさに、伝統を単に行うのではなく、その精神や意味などを理解し、また自らも考えて行動しているからである。この結果、礼ひとつをとっても日本人との違いが表れるであろう。
 こうした外国人の真摯な姿勢を目にする度に、日本人が習慣化してしまっている本来の意味をもう一度見直す必要があるのではないかと感じる。

 日本の文化は、これまでアメリカに次ぐ第2位の経済大国として世界各国で尊敬され、受け入れられてきた。だが、その意味すらも知らない日本人に対して、世界の人々が敬意を払い続けてくれるとは思えない。
 グローバル化が加速するなか、巨大な欧米と成長著しい新興国の狭間で、日本の存在感はますます小さくなってしまうのではないか。

 文化の発信元である日本人がその精神や意味を理解し、行動することが、日本とその文化のさらなる発展、広がりにつながっていくと思う。
 私が行っているこの伝統、外国人からの「なぜ?」という問いに答えられるだろうか。改めて見つめ直したい。

(大和)


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