主観客観

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教師に求められる公共性

2012年4月4日

 毎年恒例の全米桜祭り開会式が3月25日、ワシントンで開かれた。日本からニューヨークに桜が植樹されてから100年を祝してのことという。また、今年の開会式では東日本大震災時における復興支援の感謝の意も伝えられた。式典では雅楽師の東儀秀樹さんらが出演した。東儀さんは「君が代」の演奏を行ったという。日本の国歌として。

 大阪では、学校行事で行う国歌斉唱時の起立義務づけ条例が施行されて以来の卒業式シーズンを迎え、すでに32名が不起立で戒告処分を受けた。この戒告は3回で免職になるとされ、国歌斉唱がここまでの問題なのかと個人的には驚いてしまう。
 毎年、式典シーズンになると聞かれる「君が代」問題。憲法で定められている思想・良心の自由より、各個人が国歌・国旗にどのような感情を抱いても問題にはならないが、国歌斉唱時の起立が府の条例として定められてしまっている状態、不起立によりメディアが騒ぐほどに発展している状態が問題だと思う。
 個人的には「なぜここまで国歌斉唱に反対するのだろうか、いわゆる口パクででも良いだろうに」と思ってしまうが、不起立となった方は、信念を持っての行動という。

 日本の国歌が気に入らなかろうとなんだろうと構わないが、社会的なルールに反して処分を受ける姿勢が、児童・生徒に良い影響を及ぼすとは思えない。
 「君が代」問題は、思想・良心、ルールといった面で語られることが多いが、児童・生徒といった視点から論じられることは少ない。考えるに、分別ある大人は不起立問題について冷静に受け止められるかも知れないが、自分の教師がそのような行動を取っていたとしたら、児童・生徒はどのように受け止めるのだろうか。仮に、一人の教師が大半の教科や生活指導をする小学校において、担任が不起立問題で処分を受けていたら、今後児童はその教師の指導を信用して受けることが可能なのだろうか。

 児童・生徒が社会に出る準備をする教育課程では、社会とのつながりは教師のみとなっているといっても過言ではない。将来を担う児童・生徒達への指導は公共性を持って行うべきであり、教師が業務中に個人の信条を振りかざすことは、それが社会通念であると児童・生徒が誤解する恐れも大いにある。

 「君が代」は日本の国歌であると世界は認めてくれているが、国内では国歌が社会問題の1つとなっている珍しい国となってしまった。私は、ただの思想問題ではなく、教育が絡むところをもっとも憂慮している。

(小夏)


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