ハイチは「災い転じて福となす」だろうか

2010年02月03日

1月12日の午後4時53分(現地時間)にハイチにてマグニチュード7.0の大地震が発生した。特に首都ポルトープランスでは建物の損壊がひどく、国連は1月27日現在、被災者は100万人を超えており、命を落とした人は20万人に達すると発表。国連ハイチ安定化ミッションにより、政治安定化活動を行っていたPKO幹部も命を落とした。
欧米各国をはじめ、国交のなかった中国も支援活動に乗り出した。日本は援助物資の供与や国際緊急援助隊の派遣を行っており、PKO協力法に基づき自衛隊の派遣も行われる。


ハイチはもともと主要産業が農業でありながら灌漑整備が進んでおらず、生産も不安定であり、人びとが栄養失調になることも珍しくはない。そのうえ、長い独裁政権後の政情不安にあり、軍事クーデターなどの武力衝突が多く、インフラが破壊され、極度の貧困状態にあった。
そのような状況下で起きた今回の地震は、食料や医療などの物資の不足がさらに増し、略奪も発生しているなど、治安情勢はさらに悪化している。


通常、水などの摂取が全くない場合、命の限界は72時間(3日間)と言われており、それ以降の生存率は大きく低下する。しかし、情勢不安下にあったハイチでは、発生直後の人命救助が遅々として進まなかった。
発生から時間が経ってから救出されたという報道が多く、奇跡の生還が多々あるようにも感じるが、初動が良ければ、もっと早く助けられたであろう人びとの救出が遅れていたという面もある。地震発生以降、ハイチの行政はまったく機能しなかったという。インフラや住宅の整備遅れに加え、行政の未確立がさらに被害を拡大させた。


現地は壊滅的状況であり、一からインフラ整備や町作りをしなくてはならない。ハイチ復興支援のために約20の国や機関が参加した閣僚級会合にてハイチのベルリーブ首相は、長期的な復興支援を要請した。
支援国はただ、整備を行うだけではなく現地の人びとに技術提供、災害時の救急体制などの指導支援をていねいに行うことで、ハイチの国家情勢が安定化につながる道を示すことができる。歴史的な負の遺産を震災復興後も引きずり続けないように、国家を整備するのが、ハイチの人びとが求めているいちばんの支援ではないだろうか。

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