固定概念の変化をもたらす節電体制
東日本大震災により東京電力管内では大幅な電力の供給不足となっており、管内をグループ化し、時間帯を分けて計画停電の体制が敷かれている。もちろん、計画停電の実行自体に対する不満の声は少ないが、運用方法をめぐって管内の人びとには不満の声も多い。今後、需要の増す夏季にこのままの体制で実行されれば不満が爆発してもおかしくない。
電力は天候や気温等により需要量が大きく左右されるため、停電が行われるかどうかは直前にならないと分からない。そのため生産や営業の計画が立てられなかったり、業務効率が落ちたりと、それでなくても仕入価格の上昇と低価格受注などにより厳しい経営を強いられているなか、死活問題となりうる企業も多い。
一方、個々の企業による節電の姿勢はいたる所で認められる。店舗内の照明を落としたり、空調抑制がされていたり。初めのうちは違和感を覚えたものだが、すぐに慣れた。別段、生活に問題はない。いままでが、明るすぎや空調の効きすぎなど異常だったのだ。このような生活になり、私たちがいかに不必要な照明や機械に囲まれてきたのかが分かる。節電が急務となったこの震災を受けて、不要不急の概念さえも広げる機会となった。
大震災の前から、エコという名のもとで節電などが声高になっていたが、それまでの慣れ親しんだ便利な生活を崩すような節電は行われていなかった。過剰な電力消費に気が付かないまま、小さな節電で満足していたのかもしれない。
今後復旧が進み、この電力不足が解消したら、街はまた過剰な電力消費社会にもどってしまうのだろうか。このまま、特に新しい制度もなければ、すぐに元通りに戻るような気がしてならない。企業にとっては、計画停電が回避されるように、電力制限地域をなくすようにしたいという気持ちは少なからず皆持っているとみられるが、その節度の見極めが難しい。やりすぎると顧客離れや業務効率の低下に繋がる。営業時間の短縮などはやったもん負けになりかねないのだ。早めに行政や同業者組合等で、節電のガイドラインを制定し、営業時間や明るさなど全体の基準を引き下げることが求められている。
夏季を迎えると電力需要が増し、計画停電が恒常的に行われるようになる可能性もあり、現状のままでは経営が危ぶまれる企業も少なくないだろう。天災は免れないとしても、これ以上人災を引き起こしてはいけないのである。