オリンピック招致

3月1日、国際オリンピック委員会(IOC)の評価委員会が来日し、2020年オリンピック・パラリンピックの東京招致に対する本格的な活動が始まった。東京は2016年に続き二大会連続での立候補である。ちなみに、1964年の東京オリンピックのときも、1960年と二大会連続立候補の末に決まったのであり、他都市においても一回の招致活動で開催地に選ばれるということはそれほどあることではない。


とはいえ、前回、東京が招致できなかった理由の一つとして支持率の低さが挙げられたが、今回も他の候補地と比べると低空飛行している感は否めない。日本の場合、学校体育と興業スポーツが主となっていることもあり、市民からプロまでつながるシステムが弱いのが現状である。ここをしっかりと作っていくことにより、招致後には市民が活用できるスポーツ環境が残され、税金の無駄遣いなどと批判されることも少なくなるのではないだろうか。


オリンピックが都市開催にもかかわらず、国による支援と住民の支持を重視するようになったのにはきっかけがある。1976年冬季オリンピックに決まっていた米国コロラド州デンバー市が1972年の住民投票によって開催を返上した。冬季オリンピックは競技施設の建設に多額の費用がかかるため、急遽、1964年に開催したことのあるインスブルックに変更されたのである。
また、1972年の夏季ミュンヘン大会から商業化の流れが強まっていたものの、70年代のオリンピック開催は赤字となることも多く、立候補地が1都市だけとなることもあった。例えば、1976年のモントリオール夏季大会では10億ドルの赤字を残し、モントリオール市民がタバコ税で赤字を埋め続け、返し終わったのは2006年のことであった。
これらの経緯のなかで、行政による財政的裏付けと住民からの支持を重視するようになったといえる。


今回、2020年夏季大会の候補地として残っているのは東京とイスタンブール(トルコ)、マドリード(スペイン)である。言うまでもなく、スポーツは社会を明るく元気にする。とりわけ、子どもたちは世界トップクラスの競技を間近で観戦することで多くのことを学ぶはずである。1964年の東京オリンピックをリアルタイムで観た方たちの記憶は今でも残っているのではないだろうか。すでに、日本人の半数以上は東京オリンピック以降に生まれている。次世代が将来の夢を見られる国であればこそ、発展が期待できるはずであり、オリンピックはそのための起爆剤となる存在であろう。

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