英国EU離脱のショック

6月24日、イギリスは国民投票の結果、EUからの離脱が決定した。最終的には残留派が勝利するのではないかという大方の予想を裏切り、イギリス国民は大きな決断を下したと言えよう。


この結果が伝わると、円相場は一時99円台まで円高が進み、2013年11月以来の100円割れとなった。あるメディアでは、円はドルやユーロ、さらにポンドからのリスク回避の受け皿通貨として、「英国EU離脱で日本円は痛恨の『最強通貨』に祭り上げられてしまった」と述べた。


欧州は、パリ条約による欧州石炭鉄鋼共同体ECSC(1952年)を皮切りに、欧州経済共同体EEC(1958年)、欧州共同体EC(1967年)、欧州連合EU(1993年)と歩を進めてきた。また通貨統合に向けては、EC域内の為替相場変動を一定の範囲内に管理することを目的とした欧州為替相場同盟(1972年)を発足させ、さらに欧州通貨制度EMSおよび欧州共通通貨ECUの導入(1979年)、1999年にユーロを決済通貨とし、2002年から流通通貨としてきた。


そのようななかで、イギリスは当初EECに加盟せず、1960年にはそれに対抗して欧州自由貿易連合EFTAを結成するなど、独自路線を歩んだ。


しかし、EFTAは工業力でEECに対抗できず、イギリスは輸入超過に悩み、経済不振に陥った。そこで1961年にEEC加盟を申請したが、フランスなどの反対により加盟できずにいた。さらに、1967年にはポンド切り下げで貿易収支の改善を図ったものの事態が改善されないなかで、1971年にはドル=ショック、1973年にはオイル=ショックに見舞われ、同年にようやくEC加盟が実現した。しかし、1992年のポンド危機をきっかけに、イギリスは欧州為替相場メカニズムERMから脱退する一方、通貨統合には反対の立場をとり、イギリスは統一通貨ユーロを導入せず、通貨はポンドをそのまま使用してきた。


イギリスはこれまで、経済の単一市場には参加したが、通貨や政治の統合には距離を置いてきた。今回の国民投票の背景には、移民問題や格差拡大、またEUの組織運営に対する反発もあったのではないかと推察する。


イギリスのEU離脱という結果は、TDB景気動向調査にも少なからず影響を与えることとなった。国民投票の結果判明前と比較して、結果判明後のTDB景気DIは1.24ポイント低下したほか、今後の日本経済に与える影響を懸念する意見も急激に増加した。日本企業はイギリスに1,380社進出していることが判明している(帝国データバンク「イギリス進出企業実態調査」)。EUなど大陸欧州への拠点としている企業も多く、大企業を中心に欧州戦略の見直しを迫られよう。

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