悪用される"エビデンス"
PBEMという言葉を聞いたことがあるだろうか。EBPM(証拠[エビデンス]に基づいた政策立案、Evidence Based Policy Making)と異なり、海外ではほぼ通用しない和製英語の簡略形である。
このPBEMという言葉について、私は1年ほど前にある論文[1]を読んでいたなかで初めて知った。PBEMとはPolicy Based Evidence Making、つまり「立案された政策に合わせて、エビデンスを作り上げてしまうこと」といった意味だという。
これは、あからさまな証拠の捏造だけでなく、反対の実証研究やデータがあるなかで、立案された政策と整合的な統計や研究結果のみを用いることもPBEMのひとつに含まれる。
政策がPBEMによってできた場合、その政策は失敗に終わる可能性が高まると同時に、次世代が支払う社会コストは莫大なものとなってしまう。さらに、本来であればこうした問題に歯止めをかける役割を持つEBPM自体も信頼されなくなる懸念があり、事実認識を共有する重要な手段を失うことにもつながりかねない。
他方、2000年代以降、経営学の分野においてもEBM(証拠・事実に基づく経営、Evidence-Based Management、EBMgtともいう)に関する議論が活発になっている。
PBEMは誤った政策立案に対する戒めの言葉であるが、企業経営においても他人事ではないだろう。経済情勢の不確実性が高まっているなか、判断を一歩間違えると企業の存続にも影響する時代である。自社において、PBEMならぬ"MBEM[2]"(経営判断に合わせたエビデンス作成、Management Based Evidence Making)と言われるようなことが行われていないだろうか。
これらは経営層に限った話ではない。各人が属する階層においても、日常的に多くの判断が行われているはずである。その時、エビデンス(証拠、事実)に基づいた判断を行うことにより、誤った判断につながるリスクを最小化させることができる。
もちろん、EBMgtには別なリスクもある。例えば、新しい/斬新なアイデアに対して証拠を集めることは非常に難しく、挑戦することを躊躇してしまうことも起こり得る。
企業活動において、リスクを取ることは重要である。しかし一方で、同時にエビデンスを忘れてはいけないことも等しく重要である。それぞれの立場で行う判断は、リスクとエビデンスのバランスがより大切と言えるのではないだろうか。
[1] 鈴木亘、"EBPMに対する温度差の意味すること"、医療経済研究、Vol.30, No.1, 2018
[2] "MBEM"は本コラムによる造語