激動のミャンマー
2021年2月1日、ミャンマー国軍が、事実上の政府トップであるアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相やウィン・ミン大統領、アウン・サン・スー・チー氏が率いる与党の国民民主連盟(NLD)幹部らを拘束。国軍出身のミン・スエ副大統領を大統領代理として非常事態宣言を発令し、国軍によるクーデターが実行された。
ミャンマーは第二次世界大戦後、イギリスからビルマ連邦として独立する。しかし1962年、軍事クーデターにより社会主義政権となり、1988年には国軍によるクーデターで軍事政権に転じている。軍事政権下では民主化運動のリーダーであったアウン・サン・スー・チー氏が、2010年11月までの間、計15年にわたり自宅軟禁に置かれ弾圧を受けた。社会主義政権下では、1987年12月に国連から後発開発途上国(LDC)[1]の認定を受けるなど、国民の暮らしは、激動であったに違いない。2011年に軍事政権を担っていた国家平和開発評議会(SPDC)が解散し、ようやく民政移管が果たされた。近年では、インターネットの普及やショッピングモールの建設など、ミャンマーの本格的な民主化や経済発展が、始まったばかりであった。
一方、ミャンマー日本商工会議所によると、登録会員数(ミャンマーに進出している日系企業数)は2020年度末時点で426社となり、ミャンマーで民政移管がなされた2011年度末(53社)からの9年間で約8倍に拡大している。また、財務省の貿易統計によると、日本のミャンマーからの輸入額は、2012年の約530億円から、2019年の1,542億円まで増加している。
バイデン政権が米国とミャンマー間の貿易・投資枠組み協定「TIFA」に関わるすべての取り組み停止を発表したが、ミャンマーに対する国際社会での経済制裁が更に行われれば、日本企業もその影響を受けるとみられる。
軍の攻撃による犠牲者が日に日に増しており、権力が人命を奪うことを許してはならいとの思いが込み上げる。昔から日本とミャンマーの関係はとても深い。日本のミャンマーに対する政府開発援助(ODA)は先進国では最大で、ミャンマーにとっても日本は最大の援助国である。そんな日本がミャンマーで苦しむ人々のために何ができるのか。日本政府の果たす役割は大きいと強く思う。
[1] 後発開発途上国(LDC)とは、国連が定める世界の国の社会的・経済的な分類の一つで、開発途上国の中でも特に開発が遅れている国々のこと。2018年12月現在、世界47カ国が後発開発途上国に認定されている