「老後2,000万円不足」問題のその後

いまから2年前の2019年、金融庁が公表した報告書[1]をきっかけとして「老後2,000万円不足」問題が大きな話題となったことを記憶されている方も多いであろう。


この2,000万円不足という金額の根拠は、総務省「家計調査」に記載の「高齢夫婦無職世帯の家計収支」[2]がベースとなっている。2017年の毎月の実収入額と実支出額を比較し、その不足金額を30年間分に引き延ばして計算したものであった。


この問題については、これまで当コラムでも指摘してきた(「『老後2,000万円不足』騒動の捉え方」)。金融庁の報告書では、毎月5万4,519円の"赤字[3]"となっていることから、30年間で1,963万円不足となっていた。


それでは、直近2020年の不足額はいくらになるのだろうか。当時と同様の方法で計算した結果が下表のとおりである。これをみると、実収入額25万7,763円に対して実支出額は25万9,304円であり、毎月1,541円の"赤字"、30年間では55万円の不足となる。つまり「老後2,000万円不足」問題はわずか3年で「老後55万円不足」問題へと変わっていたのである。


【高齢夫婦無職世帯の実収入・実支出・貯蓄現在高】
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もちろん、2020年は多くの特殊事情があったことは確かである。


実収入では、すべての国民を対象として特別定額給付金が支給されたことの影響が大きい。また、実支出では、直接税などの非消費支出が増加した一方、消費支出は前年比で5.3%減少していた。特に、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため外出自粛が要請されたなかで、外食費(同▲36.6%)や宿泊費(同▲54.3%)、パック旅行費(同▲69.1%)などは、家計支出を減少させる要因となった。こうしたことが高齢夫婦無職世帯の家計収支に大きく影響したと言える。


しかし、このような特殊事情が今後も当てはまるとは考えにくい。多くの人は、この2020年の計算結果をもとに「老後を生きるために55万円の貯蓄が必要だ」とは考えないのではないだろうか。それは2017年でも同様である。つまり、この計算によって「老後2,000万円不足」と言うのは無理があるのだ。


また、先の表から、高齢夫婦無職世帯の貯蓄現在高[4]はおおむね2,400万円前後で推移している。こうしたことを踏まえると、本来であれば、この結果は次のように解釈すべきであろう。


「2017年において、平均2,484万円の貯蓄があり、年金等で毎月21万円の収入がある高齢夫婦無職世帯は、貯蓄から毎月5.5万円を取り崩しながら生活をしていた。このペースで30年間暮らしていくと、取り崩す貯蓄額は約1,963万円になる」、ということである[5]。


つまり、ここには「老後を生活するために2,000万円の貯蓄が必要」という意味はない。


他方、2018年の家計収支のペースだと、貯蓄額2,344万円に対して、30年間で取り崩す額は1,507万円になる。さらに2019年はそれぞれ2,317万円、1,198万円、2020年は同じく2,336万円、55万円である。この貯蓄額と取り崩し額の差は30年後に残る貯蓄額ということになる。


2015年はこの差があまりなく、30年間で貯蓄を使い切る家計収支であった。それに対して、2016年や2017年は30年後に約500万円、2018年は約800万円、2019年は約1,100万円、2020年は約2,200万円が残る計算だ。


もちろん人生100年時代を踏まえて、65歳から30年を超えて長生きするリスクに備えるために残しているとも解釈できよう。しかし、2019年のペースだと貯蓄額を使い切るのにおよそ58年程度かかる。また、この間にどちらかが死別し、高齢単身世帯になるとさらに長い期間をかけて貯蓄を取り崩していくことになる。


この差額が生じる要因は多種多様であるが、差が大きいほど一国全体の家計支出を下押しすることにつながる。単純計算ではあるものの、2017年と比べて高齢夫婦無職世帯だけで個人消費が2019年に約7,400億円、2020年に約2兆1,700億円押し下げられたことになる。


この騒動は、数字が独り歩きすることの怖さを示す典型例ではないだろうか。現在でも一部メディアで「老後2,000万円不足」などの見出しが使われる。しかし、こうした不安を喚起する情報に惑わされないことが重要である。老後のライフスタイルは自らの資産と収入に合わせて、決めていくことが大切だ。そのための準備は、現役時代から始めていくべきであろう。


[1] 金融庁、金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」、2019年6月3日
[2] 高齢夫婦無職世帯は、夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみからなる無職の世帯のこと。
[3] 家計調査の平均収入と平均支出の差額には「不足」という意味を持たないことは、過去のコラムで指摘している。
[4] 貯蓄現在高は、高齢夫婦無職世帯の数字を記載している。なお、金融庁の報告書では高齢無職世帯(世帯主が60歳以上で無職の世帯)の数字を用いていることに注意。
[5] この計算では、この期間に貯蓄から得られる利子所得などは考慮に入れていない。

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